ラーコツィ独立戦争

18世紀ハンガリーのラーコツィ独立戦争についてのメモを淡々と更新するもの。

オクスカイ・ラースロー

クルツ兵士。

 

軽騎兵としてパルフィの連隊に属し、オイゲンの十字軍に参加。同志を殺害し逃亡、イスラム教に改宗し、1699年にはまた復隊しスペイン継承戦争に参加するが、今度はフランスに逃亡し、フランス王のボディガードになった。

 

1703年、ラーコツィの蜂起が起こると、オクスカイもこれに参加する。熟練した騎兵隊としてレバ、コルポナ、セルメックを征服し、オーストリアモラヴィアで略奪を働いたため、「火の王子」、「ラーコツィの稲妻」などと呼ばれ恐れられた。

 

1708年、トレンチーンの戦いの際、オクスカイは配下の部下に神聖ローマ皇帝への忠誠を誓わせ、平然とパルフィの軍と団結した。オクスカイの裏切りはクルツ軍に多いな混乱を齎らした。1710年、大司教ヤヴォルカに捕らえられ、裏切り者として斬首された。