ラーコツィ独立戦争

18世紀ハンガリーのラーコツィ独立戦争についてのメモを淡々と更新するもの。

タマス・エッゼ

ラーコツィ独立戦争の指導者。

 

1696年頃、タルパの農奴出身のエッゼは貧しい人々のための秘密組織を参加した。彼等は蜂起の前にサンドールにより逮捕されたが、ヘギャルジャ蜂起には参加出来なず、1698年に釈放された。1702年、エッゼはキス・アルバートと共にパールの歩兵連隊に入隊し、スペイン継承戦争勃発後の1703年に集団で逃亡、ポーランドでラーコツィとベルチェーニに合流した。

 

エッゼの軍はほとんど訓練されていない農民の軍であり、装備も不十分であった。ドルハまで進軍した彼等の軍はサンドールと帝国軍により鎮圧されたが、敗北後も機能を停止せず、ラーコツィがポーランドを超えるとこれに再び戦線に戻った。エッゼは1703年から1708年の多くの戦闘に参加し、旅団長に任命された。

 

エッゼは1708年に軍内のカトリックプロテスタントの諍いを仲裁するのに失敗し、流れ弾で死亡したか、1710年にハンガリー人とザクセン人の争いの中で死亡したとされる。