ラーコツィ独立戦争

18世紀ハンガリーのラーコツィ独立戦争についてのメモを淡々と更新するもの。

ヤーノシュ・ボティアン

ハンガリーの貴族及びラーコツィ独立戦争の指導者。

 

1664年からハプスブルク帝国軍の墺土戦争に従軍し、いくつかの英雄的行為を残した。1683年のエステルゴム奪還戦、1685年のブタ包囲戦でも活躍。1692年にベオグラードの戦いで片目を失い、『盲目のボティアン』と呼ばれる。

 

1703年、クルツ軍の鎮圧に派遣され、ズヴォレンにてフォルガッハの指揮下で戦う。オクスカイと一騎討ちを行い、双方が重症を負い、ボティアンは幽閉されるが、ベルチェーニと交渉を行い、ラーコツィに忠誠を誓う。ラーコツィはボティアンをトランスダヌビアの総司令官に任命した。

 

1704年よりハプスブルク軍に連勝し、1705年にはトランスダヌビアから帝国軍を駆逐。セントゴタールの戦いではハイスターを破った。1706年のエステルゴムの占領、1707年のトランスダヌビアの防衛戦でも勝利し、ボティアンの戦術的才能はオーストリアからすら称賛された。

 

1709年、髄膜炎により没する。